車椅子フェンシング界のトップアスリートであるベアトリーチェ・ビオ( Bebe Vio)選手。
ベアトリーチェ・ビオ選手は子どもの頃、病で両腕と両足を切断するという壮絶な過去を経験しています。
その過去を乗り越え、ベアトリーチェ・ビオ選手は車椅子フェンシングで見事、金メダルを獲得。
今回は、ベアトリーチェ・ビオ( Bebe Vio)選手の経歴まとめ!2大会連続金メダルについてまとめてみました!
ベアトリーチェ・ビオのプロフィール
名前:ベアトリーチェ・マリア・アデライデ・マルツィア・ビオ
(Beatrice Maria Adelaide Marzia Vio)
ベアトリーチェ・ビオ
ベアトリーチェ・ヴィオとも表記
愛称:ベベ(Bebe)
生年月日:1997年3月4日
年齢:27歳(2024年8月現在)
国籍:イタリア
詳しくは、ベアトリーチェ・ビオ( Bebe Vio)のwikiプロフ!の記事をご確認下さい!
ベアトリーチェ・ビオの経歴まとめ
1997年:誕生
ベアトリーチェ・ビオ選手はイタリアのヴェネツィアで生まれました。
5歳:フェンシングに出会う
5歳のときベアトリーチェ・ビオ選手は
バレーボールをしていたそうです。
ある時、練習がイヤでぬけだして、たまたま
フェンシングのジムを見つけたんだとか。
それをきっかけに、
フェンシングに夢中になったそうです。
11歳:髄膜炎で両腕両足切断
11歳で髄膜炎を発症したベアトリーチェ・ビオ選手。
生きるためにベアトリーチェ・ビオ選手は、
両腕の肘から先
両足のひざから下
を切断しました。
11歳:車椅子フェンシングの存在を知る
ベアトリーチェ・ビオ選手は同じ11歳で、
車椅子フェンシングの存在を知ったそうです。
義手・義足をつけて、
フェンシングの競技を継続しました。
13歳:車椅子のフェンシングの試合に初出場
2010年5月、当時13歳だったベアトリーチェ・ビオ選手は、
イタリアのボローニャで開催された
公式の車椅子フェンシングの試合に
初めて出場しました。
15歳:ロンドンパラリンピックで聖火ランナー
2012年のロンドンパラリンピックに
ベアトリーチェ・ビオ選手は出場しませんでした。
しかし、聖火ランナーとして参加しました。
15歳:ワールドカップで準優勝
その後、ベアトリーチェ・ビオ選手は
イタリアのシニアチームに加わりました。
2012年12月にハンガリーのエゲルで行われた
ワールドカップで準優勝しました。
2014年:ヨーロッパ選手権で金メダル獲得
ベアトリーチェ・ビオ選手は頭角を表していきました。
2013年:世界選手権10位
2014年:ヨーロッパ選手権では金メダル獲得(個人・団体)
2015年:無敗
ベアトリーチェ・ビオ選手は
2016年のワールドカップでビクトリア・ボイコワ選手に敗れるまで
11戦連勝を記録したそうです。
2016年:リオデジャネイロ・パラリンピックで金メダル
ベアトリーチェ・ビオ選手は
出場したリオデジャネイロ・パラリンピックで
金メダル(フルーレ個人)
銅メダル(フルーレ団体)
を獲得しました。
2020年:東京パラリンピックでも金メダル
ベアトリーチェ・ビオ選手は
出場した東京パラリンピックで
金メダル(フルーレ個人)
銀メダル(フルーレ団体)
を獲得しました。
個人では二大会連続の金メダリスト獲得です!
また、ベアトリーチェ・ビオ選手は
東京パラリンピックの開会式で、
イタリア選手団の旗手を務めました。
ベアトリーチェ・ビオ選手はパリオリンピックの開会式に参加
2024年のパリオリンピックの開会式で、
ベアトリーチェ・ビオ選手は、
パリコレ風のランウェイを歩きました!
笑顔満載で、軽やかに歩いたベアトリーチェ・ビオ選手。
SNSでは
ポップな妖精みたい!
とっても可愛い!
と話題になっていました!
ベアトリーチェ・ビオは障害者団体を設立
2009年に、ベアトリーチェ・ビオ選手は
障害者団体「art4sport ONLUS」を設立しました。
どんな団体?
・スポーツを通じて障害者を支援する
・非営利団体
この団体は、ベアトリーチェ・ビオ選手と両親とで
立ち上げたのだそうです。
ベアトリーチェ・ビオは受賞多数
ベアトリーチェ・ビオ選手は車椅子フェンシングの大会だけでなく、
受賞を多数しています。
・2014年:
イタリアン・パラリンピック・アワード
・2016年:
エドアルド・マンジャロッティ国際賞
・2017年:
ローレウス世界スポーツ賞
(年間最優秀障害者選手賞)
まとめ
いかがでしたでしょうか?
ベアトリーチェ・ビオ選手は、壮絶な過去を乗り越え、
車椅子フェンシング界のトップアスリートとなり、
今も活躍の場を広げているようですね。
・義手義足のパラリンピアン
・モデルやインフルエンサーでも活躍