女子卓球黄金世代の一人、早田ひな選手。
国際卓球連盟ITTFで発表(2024年1月19日付)した内容では、早田ひな選手は世界ランキング5位で日本選手トップというものでした。
そこで今回は、早田ひな選手の小学校は?2年生で全国大会出場などエピソード5選!という内容でまとめてみました。
早田ひなのプロフwiki
プロフィール
名前:早田 ひな(はやた ひな)
生年月日:2000年7月7日
出身地:福岡県北九州市
身長:167cm
血液型:A型
戦型:左シェークドライブ型
経歴
全国中学校卓球で全国優勝をはたすと、そのあとはインターハイやジャパントップ12など国内タイトルを獲得、20年の全日本選手権退会ではシングルス、女子ダブルスで2冠を達成。
世界選手権やワールドカップではメダルを獲得するなど、多くの大会で好成績をおさめている。
早田ひなの小学校は?
早田ひなの小学校は
北九州市立鞘ヶ谷小学校
・1949年設立の男女共学の公立小学校
・学校教育目標は「進んで学び、豊かな心とたくましい力をもつ子どもの育成」
・自然と文化に関する施設に囲まれた文教地区にある
・自然や郷土を愛する心豊かな子供の育成に力を注いでいる
所在地は福岡県北九州市戸畑区東鞘ヶ谷町4番1号になります。地図はこちら
早田ひなの小学校エピソード5選!2年生で全国大会出場など
名門「石田卓球クラブ」で4歳から腕を磨く
早田ひな選手は福岡県北九州市に生まれました。
お祖母様が卓球経験者、お父様が社会人サッカーチームの元選手というスポーツ一家で早田ひな選手は育ちます。
そして地元の名門「石田卓球クラブ」にお姉さんが通っていたことがキッカケで、早田ひなさんも4歳から卓球を始めました。
(※石田卓球クラブは、世界ジュニア選手権男子ダブルス初の金メダリスト岸川聖也選手を育てた名門クラブです。)
左手でラケットを握る練習を始めた
早田ひな選手は「できないことをできるまでやろうという真面目な子」だったそうです。
石田卓球クラブのモットーの「練習は不可能を可能にする」を体現していたそうです。
卓球競技では左利きにメリットが多い競技だと言われていて、右利きだった早田ひな選手もサウスポーとしてラケットを握るように訓練を石田卓球クラブで受けました。
そして徐々に才能が開花していきます。
現在は左シェーク両面裏ソフトドライブ型で左利きを駆使したダブルスで、好成績をおさめる選手に成長されました。
卓球ノートをつけていた
早田ひな選手のご両親に卓球経験はなく、福原愛さんや伊藤美誠さん、平野美宇さんのような卓球一家ではありませんでした。
もちろん、自宅に卓球台もありませんでした。
そんなハンデを補うために、早田ひな選手は小学校時代から「卓球ノート」をつけていたそうです。
早田ひな選手は練習中に見つかった課題などを細かく記載していたようです。
小学校2年生で全国大会出場
早田ひな選手は小学2年生の時には全日本卓球のバンビの部で全国大会に出場を果たしています。
バンビの部は小学2年生までの大会です。
早田ひな選手は決勝トーナメントまで残る好成績を収めました。
ちなみに、この大会で優勝したのは、同い年でともに黄金世代と呼ばれている伊藤美誠選手です。
7歳から使っている毛布を今でも愛用
早田ひな選手はお母様が買ってくれた黄色の毛布を遠征先にまで持っていくとのことです。
この毛布、なんと7歳から使っているそうです。
みんなからは「グレー」と言われるくらい使い込んでいるものだとか。
でも、これがあれば1番落ち着き、海外の遠征先でも安心して眠ることができるそうです。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
早田ひな選手の卓球人生は小学校にたくさん由来するものが多かったですね。