井上雅宏wiki|ブラジルトヨタに尽力した経歴3選まとめ

引用元:TOYOTA HP

トヨタ自動車の井上雅宏さんがダイハツ工業株式会社の新社長に就任されました。

井上雅宏さんは主に中南米におけるトヨタの事業の拡大に尽力されてきました。

特にブラジルには3回の駐在歴があるようです。

そこで今回は、井上雅宏さんのプロフwikiと、ブラジルトヨタに尽力された経歴3選をまとめてみました。

目次
スポンサーリンク

井上雅宏プロフwiki

引用元:日刊自動車新聞電子版

プロフィール

・名前:井上 雅宏(いのうえ まさひろ)
・生年月日:1963年9月
・出身:京都府

経歴

・1987年3月 同志社大学経済学部卒業
・同年      トヨタ自動車入社
         生産管理部三好工場配属
・1994年   ブラジルトヨタへ出向
         以降、中南米を中心に
         海外駐在でキャリアを積む
        (詳しくは次章にて)
・2019年   中南米本部長就任
・2024年   ダイハツ工業新社長就任

スポンサーリンク

井上雅宏さんが尽力したブラジルトヨタについて

井上雅宏さんは、ブラジル・アルゼンチンの「地域経営の再構築」など、長年に渡り中南米事業の構造改革に取り組んでこられました。そこでまずは、トヨタ自動車のブラジルの拠点『ブラジルトヨタ』について触れておきたいと思います。

トヨタの中南米への海外進出

トヨタの海外進出史において、東南アジアに次いで中南米は古い歴史をもっているそうです。

中南米では、戦後初の本格的な現地での生産となった1958年のブラジルへの進出をはじめ、ペルー、ベネズエラなどで国産化の対応により積極的に現地生産を展開をされてきました。

ブラジルトヨタについて

引用元:トヨタイムズ

ブラジルトヨタの概要

社名:Toyota do Brasil Ltda.
本社所在地:サンパウロ州サンベルナルド市
会社設立時期:1958年1月
生産開始時期:1959年5月

ブラジル進出は、トヨタにとって海外戦略の第一歩という位置づけで、いざというとき日本のトヨタを支えてほしいという強い願いがあったそうです。

ブラジルトヨタの歴史

1958年 ブラジルトヨタ設立
1959年 トヨタ海外生産第一号
      ランドクルーザーFJ25L
      (のちのバンデランテ)が完成
1962年 サンベルナルド工場が完成
1964年 ブラジルに軍事政権誕生
1967年 1000分の1デノミが実施
1970年代 オイルショック
1979年 バンデランテが年に4000台まで
      生産されるようになる
1980年代 経済低迷に伴い生産も半減する
       バンデランテの品質改良を続けた
1990年 コーロルプランという新工業製作が
       始まり、輸入車解禁に
1992年 カローラ、ハイラックスSW4、
      カムリの完成輸入を開始
1993年 通貨危機。ハイパーインフレにより
      デノミが実施され、通貨が
      クルゼイロからレアルに変更
1994年 ブラジル、アルゼンチン
      相互補完事業展開に着手
     (ブラジルで生産したカローラを
      アルゼンチンへ輸出、アルゼンチン
      で生産したハイラックスを
      ブラジルへ輸出)
1996年 ブラジルでカローラのCKD
事業発表
     (Complete KnockDown:部品を
      輸送して組立てを行う生産方式)
1998年 インダイアツーバ工場にて
カローラ
      の現地生産を開始
      ブラジル、アルゼンチンの
      相互補完事業開始
2001年 バンデランテの生産を中止
     (排気規制を未達成が原因)
2007年 ブラジルのエタノール製作に適応し
      たカローラFFVバージョンを生産、
      販売
     (FFVはガソリンとエタノールなど
      一種類以上の燃料を任意の比率で
      混合しても走行可能な自動車)
2008年 50周年を迎える
      金融危機で販売台数停滞
2010年 カローラのリコール問題
2012年 ソロカバ工場開所
      小型車生産を開始
2016年 中南米初エンジン工場
     『ポルトフェリス工場』を設立
2019年 ハイブリット車を生産開始
     (カローラセダン)
2021年 カローラクロスもハイブリット車へ
2023年 サンベルナルド工場閉鎖

    は井上雅宏さんがブラジルに駐在していたと予想される期間です

スポンサーリンク

井上雅宏がブラジルトヨタに尽力した経歴3選まとめ

ブラジルに3回駐在し、ブラジルトヨタに尽力されていた井上雅宏さん。それぞれの時代を見ていきたいと思います。

1回目のブラジル駐在(1994~)

井上雅宏さんは1987年に大学卒業後、トヨタ自動車に入社されます。生産管理部三好工場の勤務を経て1994年からブラジルトヨタへの出向を命じられます。

1990年代後半、中南米は経済危機下にあったのですが、トヨタは現地生産・販売事業を本格化していきます。

トヨタは1993年に「ブラジル・アルゼンチン事業準備室」を発足させて、ブラジルでカローラ、アルゼンチンで商用車のハイラックスを生産分業することを決定し、ブラジルでは工場を建設し1998年からカローラの生産を行いました。こうして地域内での完成車や部品を相互に補完する体制を作り上げていった頃でした。

井上雅宏さんはこの目まぐるしく変化する環境下で尽力されたのではないでしょうか?

2回目のブラジル駐在(2011~)

井上雅宏さんは2004年海外企画部グループ長に就任。それを経て2007年には米州営業部室長に就任されます。そして2011年ブラジルトヨタ副社長に就任されます。

5年間の任期を終えた長谷部省三前社長から中西俊一新社長へと交代されたタイミングが2011年なので、時を同じくして井上雅宏さんが就任されたのかもしれませんね。

この頃から、トヨタはブラジルに対して積極的に投資を行っていきます
「南米、とりわけブラジルでトヨタが成長していくには、車種拡充と生産能力の拡大がカギを握る」この言葉の通りに、ブラジルにおける事業が拡大していきます。

井上雅宏さんは副社長として尽力されていたことだと想像できます。

3回目のブラジル駐在(2019~)

井上雅宏さんは2014年にトヨタ自動車第2トヨタ企画部室長を経て、2019年に中南米本部長・ブラジルトヨタ会長・アルゼンチントヨタ会長・ベネズエラトヨタ会長に就任されます。

ブラジル、南米で事業を拡大していく中、トヨタ初の海外工場『サンベルナルド工場』を閉鎖するという大きな決断を井上雅宏さんはされます。競争力の向上を図るために、サンベルナルド工場を閉鎖し同州の他の3工場へ移管する事業でした。

同じ州内に移管すると言っても距離は150kmも離れていたそうで、引越が難しくトヨタをやめる選択肢をせざるを得ない従業員も多数いたとか。

退職後のそれぞれの生活が安定するように、会社は転職支援などをするなど、一人ひとりの従業員との丁寧なコミュニケーションを心掛けられたそうです。また、移管先へ移動する社員へは移管先の社員があたたかく迎えてくれることで不安を取り除いてくれたそうです。

工場の跡地はサンベルナルド市を拠点とした石油やガスなどの産業用鋼管を手がける「イピランガチューブ」という会社に引き継がれました

イピランガチューブの社長

我が社はサンベルナルド市で創業した会社であり、この街は我々の原点になります。
トヨタの工場が出来て以来、その歩みをずっと見てきました。
トヨタは社員を大事にする社風があり、製品の品質も非常に優れている企業だと、高く評価しています。
我が社も常に人を大切にして参りました。
我々の事業は、やる気のある人がいてくれることで初めて実現できるのだと信じています。
トヨタとこの文化を共にし、形にしていければと思います。

2024年末には、約1000人の従業員の七割サンベルナルド工場の跡地の会社で働く予定だそうです。

閉所式にて井上雅宏さんは決意を述べられました。

井上雅宏さん

「サンベルナルド工場での生産の歴史はクローズするが、これからの飛翔のため。(生産移管に伴って)住まいを移してくれた従業員やその家族とともに、トヨタはもっといいクルマを生産し、中南米に輸出拡大する。ブラジル自動車産業のさらなる発展に寄与していく(※引用元:トヨタイムズ 原文のまま)」

トヨタで働いてくれていた社員一人ひとりを最後まで大切にする移管事業をされた井上雅宏さんの功績は、トヨタが中南米で発展することだけなく、トヨタという会社やその商品が地元に愛され続け、商品を購入し続けていただくということに繋がっているのかもしれませんね。

スポンサーリンク

まとめ

いかがでしたでしょうか?

井上雅宏さんは中南米でのトヨタの事業拡大に尽力されてこられました。

井上雅宏さんは難しい決断も多い中で、現場のメンバーととことん対話をし、改革を前へ前へと進めてきたリーダーだそうです。

今後の、井上雅宏さんのダイハツ工業新社長としてのご活躍も期待しております!

 

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次