俳優の宮沢氷魚さんのお父様が、教科書にも載っていた『島唄』を作られた宮沢和史(THE BOOM)さんだとご存知でしょうか?
『島唄』は口ずさめるけど、あまり良く知らない方もいらっしゃるかもしれません。
そこで今回は宮沢氷魚さんの父・宮沢和史さんの『島唄』はどんな曲なのかと、曲に隠れた意味について動画も載せてまとめてみました。
【動画】宮沢氷魚の父・宮沢和史の『島唄』
まずは、『島唄』の動画をどうぞ御覧ください。懐かしい方も多いかもしれませんね。
宮沢氷魚の父・宮沢和史の『島唄』はどんな曲?
『島唄』はいつ作られた?
『島唄』は1991年に作られたと推測されます。
1991年の冬に沖縄音楽にのめり込んでいた宮沢和史さんが、沖縄の「ひめゆり平和祈念資料館」を初めて訪れたことがきっかけで作られたそうです。
翌年1992年に『島唄』は発表されました。
『島唄』は誰のために作られたか?
『島唄』は、本当はたった一人のおばあさんに聴いてもらいたくて作られた歌だった。
1991年の冬、沖縄音楽に夢中になっていた宮沢和史さんは、沖縄の「※ひめゆり平和祈念資料館」を初めて訪れます。
※「ひめゆり平和記念資料館」…戦争の悲惨さや平和の大切さを後世に語り継ぐために、1989年に開館。沖縄戦で犠牲になったひめゆり学徒隊の遺品や写真、生き抜かれた方の証言映像やジオラマなどを掲載
そこで宮沢和史さんは「ひめゆり学徒隊」の生き残りのおばあさんに出会います。
本土での決戦をただ引き延ばすための「捨て駒」と位置づけられた激しい沖縄地上戦で、大勢の民間人が犠牲になったことを宮沢和史さんは初めて知ることとなります。
宮沢和史さんは、そんな事も知らないで生きていたあまりに無知な自分に怒り覚えます。
ひめゆり平和祈念資料館はガマ(自然洞窟)の中にいるような造りで、こういった場所で集団自決した人のことを想い、宮沢和史さんは涙がとまらなかったそうです。
一方、資料館から外に出てみると、ウージ(さとうきび)がしずかに沖縄の風に揺られている。
この対比を歌にして、生き残ったおばあさんに聴いてもらわねばと決意したそうです。
『島唄』の隠れた意味とは?
『島唄』の隠れた意味は、沖縄戦で犠牲になられた方々の魂を弔った鎮魂歌であること
「島唄」の歌詞は、多くの人に聞いて歌ってもらえるようにダブルミーニング(歌詞に二つの意味をもたせる)という手法をとって作られています。
表面上は、沖縄の景色や男女の別れを描いたラブソングです。
裏には、沖縄戦で犠牲になられた方々の魂の弔いと平和を願うという意味が隠れているそうです。
宮沢氷魚の父・宮沢和史が作った曲『島唄』の歌詞と意味
こちら『島唄』の少し長い歌詞になりますが、意味とともに掲載します。沖縄戦の不条理な死と平和への願いを込めた意味が隠されています。
【歌詞】
でいごの花が咲き 風を呼び嵐が来た
でいごが咲き乱れ 風を呼び嵐が来た
繰り返す 哀しみは 島渡る 波のよう
ウージの森で あなたと出会い
ウージの下で千代にさよなら
島唄よ 風にのり 鳥と共に 海を渡れ
島唄よ 風にのり 届けておくれ わたしの涙
でいごの花も散り さざ波がゆれるだけ
ささやかな幸せは うたかたぬ波の花
ウージの森で 歌った友よ
ウージの下で八千代に別れ
島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の愛を
海よ 宇宙よ 神よ 命よ
このまま永遠に夕凪を
島唄は風に乗り…
【意味】
1945春でいごの花が咲く頃、米軍の沖縄攻撃が開始された
でいごの花が咲き誇る初夏になっても、攻撃は続いている
多数の民間人が繰り返し犠牲となり、人々の哀しみは、島中に波のように広がった
サトウキビ畑で愛するあなたと出会った
サトウキビ畑の下の洞窟で、愛するあなたと永遠の別れとなった
島唄よ、風にのせて死者の魂と共に海を渡り、遙か遠い東の海の彼方にある神界ニラカナイに戻っていきなさい
島唄よ、風にのせて沖縄の悲しみを本土に届けてほしい
でいごの花が散る頃、沖縄戦での大規模な戦闘は終わり、平穏が訪れた
平和な時代のささやかな幸せは、波間の泡のように儚く消えてしまった
サトウキビ畑で一緒に歌ったともよ
サトウキビ畑の下の洞窟で永遠の別れとなった
島唄よ、風にのせて彼方の神界にいる友と愛する人に私の愛を届けてほしい
海よ 宇宙よ 神よ 命よ 万物に乞い願う
このまま永遠に穏やかな平和が続いてほしい
島唄は風に乗り…
まとめ
宮沢氷魚さんの父・宮沢和史さんが作られた『島唄』は沖縄戦と犠牲者のための鎮魂歌でした。
宮沢和史さんは『島唄』に対してこのような思いを述べてらっしゃいます。
『現在の日本という国の平和は沖縄戦や戦後の占領された時代、多くの犠牲があったからだ。それを決して忘れてはいけない。』
『島唄』を聞くときには、この思いをもう一度振り返り、大切に聞きたい歌ですね。
歌詞参照元:東洋メディカル整骨院